開催の経緯について


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1990年代は、冷戦が終結し、資本主義があたかも唯一の社会体制であるかのようにみなされた時代ですが、実は、この時期に、いわゆる途上国は深刻な債務と貧困にあえぎ、先進国との格差の拡大が顕著になった時代でもありました。「世界社会フォーラム(WSF)」は、先進国が主導権を握る現在の世界の体制(新自由主義的グローバリゼーションと呼ばれたりする)に対抗して、南の国々の社会運動が中心となって、貧困と格差を生み出す現在の世界システムに代わる新しい社会の構築を目指す運動として出発しました。2001年、ブラジルのポルトアレグレで、その第一回が開催されました。数千人規模の会合でしたが、その後、徐々に参加者が増え、時には10万人近くの人びとが参加し、数千の会議やワークショップなどが開催される集りとなり、大企業や国際金融機関、そして先進国政府が主導するグローバリゼーションに対抗する世界規模のネットワークになりました。

WSFの発祥の地でもあるブラジルの左派政権は、福島原発事故の後に、あえて原発に新規建設計画を打ち出します。これに危機感をもったブラジルの人たちが、原発反対運動を立ち上げます。WSFにおける重要な課題のひとつとして原発問題を提起し、2013年のチュニジア開催されたWSFでブラジルの反原発団体が小規模ながら原発問題を討議する会議が開催され、日本からも参加しました。また、2014年秋には、ブラジルからWSFの創設者のひとりでもあるシコ・ウィタケさんが来日し、福島を訪問し、その実情をつぶさに体験するなかで、原発事故と原発がもたらす重大な影響を深く憂慮して、核の問題をWSFのなかで議論することの必要性を強く訴えることになりました。(この経緯は、印鑰智哉さんのブログの記事「日本での核エネルギー問題世界社会フォーラム開催の提案」に詳しい)シコさんは、福島原発事故を経験し、しかも広島・長崎の原爆の被害も体験している日本で是非核をテーマとしたテーマ別の社会フォーラムを開催すべきだという重要な問いかけを行ないます。

こうした動きに、背中を押される形で、これまでWSFに関わってきた日本のグループや個人、そして被ばく労働を考えるネットワーク福島原発事故緊急会議とブラジルの反原発運動団体が共催で、2015年3月のチュニジアで開催されたWSFにおいて、ワークショップ(反核世界社会フォーラムを日本で開催することについての検討会議)とコンファレンス(福島から木幡ますみさんを招いての証言集会)を開催しました。コンファレンスは100名ほどの人たちが参加し、木幡さんの話に熱心に耳を傾けました。福島のその後の報道がほとんどない途上国の人びとは、とっくに収束していると思っていた事故処理がほとんど進まず、汚染問題が深刻な状況にあることを知って、原発の危険性が想像を越えるものであることを改めて知る機会になりました。

このチュニジアのWSFでの二度にわたる集会では、原発輸出の問題の他に、先進国の核廃棄物が途上国に「輸出」される問題やウラン鉱山の被ばく問題、移民労働者の原発労働問題、更には劣化ウラン弾など核兵器問題など、第三世界が直面している「核」の問題についての発言なども会場から出されました。日本からの参加者は、皆が反原発運動を主要な運動課題としているわけではありませんでしたが、こうした議論を踏まえて、帰国後、日本における核をテーマとした社会フォーラムの開催の実現に向けて準備することになりました。こうして、2015年4月以降、毎月一回の準備の会合(相談会と呼ばれています)を開催し、夏以降は、連続学習会を開催するなどの準備を進め、今年3月にささやかな規模ではあるが、フォーラムを開催することになりました。(文責:小倉利丸)